| 9.引導は渡しません |
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| 11.棺にお名号が |
| 10. 弔辞の表現(意外と多いおかしな弔辞) |
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葬儀では、しばしば弔辞が述べられます。ある葬儀に出勤したときのことです。5人もの代表者が次つぎと弔辞を述べ、哀悼の意を表されたのですが、残念ながら浄土真宗の葬儀にふさわしくない言葉が随所に使われ、いつものことながら歯がゆい思いをしてしまいました。 例えば、5人のうちの3人までが「○○さんのご霊前」あるいは「み霊(たま)」という表現を用いていました。しかし、仏教では「肉体は滅んでも霊は残る」といった固定的不変的な“霊”観念はありませんので、浄土真宗でもこうした言葉は使わないのです。 また「どうぞ安らかにお眠り下さい」という表現がありました。確かに「涅槃寂静(ねはんじゃくじょう)」といって悟りの世界(お浄土)は安らかで静かなものです。しかし、これは心の状態を言ったもので、何もじっと眠っているわけではありません。それどころか、お浄土で仏さまとなられた故人は、休む暇なく私たち衆生を真実に真実に目覚めさせようとはたらきづめにはたらいて下さっているのです。 次に「草葉の陰(かげ)」−。この言葉もよく使われます。あるご住職の葬儀で総代さんが弔辞を読み、この言葉を使いました。すると、ある方が皮肉っぽく「おたくの住職さんは“コオロギ”でしたんか」と言ったそうです。先に述べたように、草葉の陰やお墓の中に死者の“霊”があるのではありません。 今回の5人の弔辞の中で「極楽浄土」という言葉を使ったのは1人だけでした。「これは大丈夫だろう」と思って聞いていると、最後になって「昇天された…」と述べ、ガックリ。このほか「天国に召された」という表現も耳にします。キリスト教の葬儀ではないのです。「天国」関係の表現はふさわしくありません。もっとも、仏教でも「天」はありますが、それは迷いの世界の1つであり、悟りの世界であるお浄土とは明らかに違います。 つまり、故人はすでにお浄土に生まれ仏さまになられているのです。したがって弔辞も「その仏さまの願いを聞き、お念仏を依り所に生きぬく」といった内容がよいでしょう。 |
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| 9.引導は渡しません |
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| 11.棺にお名号が |