| 11.棺にお名号が |
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| 13.中陰と迷信 |
| 12. 中陰のお勤め(七日参り) |
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火葬の後、自宅に戻ってきた故人の遺骨は、葬儀社などが用意した中陰壇(ちゅういんだん)に安置することになります。その中陰壇には三具足(みつぐそく)や供物が飾られ、ほかにも遺影や白木の位牌(真宗では本来用いない)が置かれたりするので、つい遺族の目もそちらに向きがちになります。 お骨上げや初七日(しょなのか)のお勤めでお参りするとたいていの場合、この中陰壇の方を向いて座られており、壇上のローソクや線香にはきちんと火がつけられ、花ももりだくさんに飾られています。さらにおリンまで中陰壇用に用意されていることが少なくありません。 ところが、お仏壇の方はと言えば、ローソクはなく、花は枯れているわで、ほとんどほったらかしといった状態だったりします。 そのお仏壇の前で私がお勤めしようとするものですから、家の方は慌(あわ)てると同時に、何かけげんそうな顔をされます。 おそらく、こうした方がたは、勤行は遺骨の前で行い、そのお経が故人への追善回向(善を積んで故人に振り向ける)になると思っておられるのでしょう。 確かに“中陰”の習俗に基づけば、そう思うのも無理からぬことかもしれません。すなわち習俗では、死後49日の中陰の間は死者の行き先が定まらないとされています。そこで7日目ごとの節目に法要を勤め、その功徳を死者に振り向けて少しでも“よい世界”に生まれてもらおう、というのです。 しかし、浄土真宗のお味わいでは、故人は死後ただちにお浄土に生まれられているのです。もし仮に、信心をいただかれずに迷っているとしても、私たち凡夫(ぼんぶ)に、善を振り向けてよりよい世界に行かせる能力など何一つ備わっておりません。お浄土に生まれさせることができ、また私たちが本当に頼りにできるのは阿弥陀如来さましかないわけです。どんな時も、悲しければ悲しいほど仰ぐべきは如来さまなのです。お仏壇の前でお勤めするのは、そういう心からです。なお、中陰壇はお仏壇の横に設けるようにします。 |
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| 11.棺にお名号が |
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| 13.中陰と迷信 |