| 2.お墓参りの意味 |
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| 4.分骨 |
| 3. 姓の違う故人の納骨(縄張り争いなどない) |
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ある女性が涙ながらに、こんな相談を持ちかけてきました。 「先方のご両親の反対を押しきって結婚した娘が先日なくなり、葬式をすませたのですが、遺骨は婚家のお墓には入れてもらえず、かといって、我が家のお墓にも“姓の違う故人の遺骨は入れてはいけない”と人に言われて途方にくれています。どうしたらよいのでしょうか」と。 これを伺(うかが)って「親の心痛(しんつう)いかばかりか」と思うと同時に、執(と)らわれるべきでないことに執らわれ、自らを縛りつけて苦悩を深めている親の姿に、改めて迷信のこわさを感じました。 「姓の違う故人は先祖の墓に納骨してはいけない」のほかにも「勘当(かんどう)した息子の骨は入れられない」とか「仲の悪かった人同士の骨を一緒にするとケンカになる」などと、まるで“骨のなわばり争い”のようなことを気にする人がいますが、そういうことは宗教上、一切気にする必要はありません。ですから、故人を大切に思う心があれば、堂々と自家のお墓に納骨すればよいのです。 遺骨に対する偏見は、骨そのものを故人と見るところから生じてきます。しかも、その“骨”の故人は、生前の自己中心的な欲望や感情、それにしきたりなどに縛られたままの故人なのです。 実は、そういう目でしか故人を見れない私自身こそ問題なのです。私の尺度で死後の世界を捉えようとし、あげくの果て、不幸が重なれば先祖のせいにしかねない私です。 しかし、故人は何も骨のままでじっとしているわけではありません。お浄土で仏さまとなり、私たちのためにはたらいておられます。たとえ生前対立していた故人同士でも“倶会一処(くえいっしょ)”のお浄土のこと、世俗のわだかまりから解放されて、ともに手を取り合いお念仏の法を説いて下さっているのです。 “骨のなわばり”を気にするのではなく、故人の遺骨をご縁として、私自身が根源的ないのちの願い、真実の法を聞くことです。 |
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