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私がお参りに行くと、「若いから」といって、よくコーヒーを出してくださる家があります。コーヒーは嫌いではないのですが、お婆さんの作ってくださるコーヒーの中には、しばしば“特製”のものがあります。 スプーンでまぜようとすると、スプーンが動かない! これが、婆ちゃんの“特製コーヒー”です。 砂糖がたっぷり!入っているのです。マンガ「美味しんぼう」の栗田ゆう子に言わせると、 「どろ〜っとした感触で、しつこく混ぜてもいっこうに溶けず濃厚で、舌ざわりはねっとりしていて、飲み終わってからも余韻がいつまでも残り、気分まで悪くなってくる」という代物です。ノーシュガーでコーヒーを飲んでいた私には、一番の苦行でした。しかし、せっかく入れてくださったコーヒーですから、カップの底に溶けきれなかった砂糖を残し、きれいに飲み干します。
ところが、慣れというものは恐ろしいものです。最近はこのコーヒーが妙においしく思えてきて…。喫茶店に行っても、コーヒーには砂糖をたっぷり入れるようになっちゃいました。(笑) |
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「コーヒーにクリープ」というようなCMもありましたが、コーヒーに入れるものといえば、普通「砂糖」に「ミルク」ですよね。 ある日、お参り先のお婆さんがコーヒーを入れてくださいました。まず砂糖を入れて、次にフレッシュを入れたのですが、落ちていくフレッシュを見たとたん、 「あれっ? 白くない!」 なんと、透明に近い色をしているのです。何気なくパッケージのフタを見ると、「レモン」と書いてあります。お婆さんが間違えて添えられたのです。 レモン入りのコーヒー! どんな味がすると思います?
そんなことはおくびにも出さずに、美味しそうにいただいたのは言うまでもありません。 |
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砂糖、フレッシュが入ったコーヒーが父に出されました。その日は既に何回かお茶をよばれていたので、欲しいとは思わなかったのですが、せっかく入れてくださったものです。断らずにいただいたということ。 ところが! 目も悪くなりかけているお婆さん、“コーヒー”と台所の“本だし”を間違えて、“だし”をお湯で溶いたコーヒー(?)をくださったのです。
でも、さすが住職! 黙って全て飲み干したそうです。 |
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「ごめんください」と言って誰かが出て来るまで玄関で待つ、というようなことは(私は)いたしません。玄関の戸を開け、「ごめんください」と言うが早いか靴を脱いで、ずかずかと仏間まで上がり込みます。門徒の方も心得たもので、玄関に出て来られずに仏間の方に出て来られます。仏間に来られた時には、私はもうマッチを手にしてローソクの火をつけかけている、といった具合です。 今は昔、このようなことがありました。 いつものようにガラッと玄関の戸を開け、土間に入るやいなや、「キャーッ!」と黄色い悲鳴! 一糸まとわぬ女性の姿が目に飛び込んできたのです。急に目を反らすのも悪いような気がして、じっと見つめてしまったのですが、女の人は股間を押さえて隣の部屋に、それこそ飛び込んで行かれました。 ここまで読まれた貴方! 「坊さんもいいことがあるんだなぁ」と思われたことでしょう。ところが、私は正直言って見たくもなかったのです。いや、ホント。読経中に一生懸命考えました。どうやってフォローしたものか…。読経後に、服を着て出て来られた彼女に向かって私はいいました。
「お婆ちゃん、50年前のあの姿が見られたらなぁ!」 |
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逮夜参りに行って、ローソクに火を付け、線香に火を付け香炉に入れ、いざ座って合掌礼拝というとき、ふとお経の本を持って来ていないのに気が付きました。後ろには、おばあさんが座っており、いまさら経本を取りに帰ることもできません。そこで、「讃仏偈なら、最後まで大丈夫!」と自分に言い聞かせながら、無本で読経をはじめました。 実際、大丈夫の筈だったのですが、おばあさんが小さな声で一緒についてくるではありませんか。それがわかった瞬間! 急に緊張してきました。頭に血がのぼり必死で次の句を思い浮かべようとします。次の句を考えだしたりしたら、もうおしまい。大丈夫の筈の讃仏偈が、いっこうに終わりません。そのうち、同じフレーズを繰り返している自分に気がつきましたが、どうしても終われません。 声はだんだん小さくなっていき、顔はだんだん赤くなり耳まで熱くなっています。このまま一生この家で「エンドレス讃仏偈」を唱えているわけにもいきません。そこで…エイッとばかり 「諸苦毒中」(最後から3句目)に飛びました。
後は「我行精進.忍終不悔」の2句で終わりです。 |
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逮夜参りで読経中、いつもは後ろに座ってお経を聞いているお婆さんが、途中で出ていってしまいました。しばらくすると台所の方から「ガリガリ、ガリガリ」という音が聞こえてきました。「かき氷だ」とすぐにピンと来ました。 暑い日にかき氷はいいのですが、内心は「うわぁ、まいったなぁ!」と困惑してしまいました。なぜなら、この日は滅茶苦茶に忙しい日で、ゆっくりしている暇などなかったからです。お茶ならすぐに飲んで「ごちそうさま」で終わりますが、かき氷はそうはいきません。食べるのに結構時間がかかるのです。ちょっと急いで食べると頭が痛くなるし…。 お勤めが終わると、案の定かき氷が用意されていたのですが、これを見て「ゲッ!」と思わず声を出しそうになってしまいました。特大のガラスの器にお仏飯のように山盛りにされたかき氷と、その横に特別小さなスプーンが添えてあったからです。「何回口に運ぶことだろう…でも、おばあちゃんが一生懸命つくってくれたんだし」と思い直し、小さなスプーンでかき氷を口に入れました。 とたんに「ゲ〜ッ!」 今まで…たいがいのものは平気な顔をしていただいてきましたが、これだけは食べられませんでした。おそるおそるお婆さんに言いました。
「お婆さん。これ…蜜とポン酢を間違えてません?」 |
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いつもはお経が終わった後、お茶を飲みながら5分間ほど世間話をして帰るお宅なんですが、その日は15分…いや20分以上ねばったかもしれません。 なぜなら、いつもは若いヨメさんがお茶を出して下さるのですが、この日はヨメさんが留守らしく、お婆さんがカルピスを作って出して下さったからです。なぜカルピスが出たら長くなるのかって? そりゃ〜もう、特製のカルピスですから… 普通カルピスって水で4倍か何倍かに薄めますよね。これをストレートで出された日には…。いや正確に言えばオンザロックでした。氷が溶けるのに15〜20分以上かかったってことです。
カルピスを薄めずに飲んでみなさい。しばらくノドがおかしくて声など出せませんよ! |
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ある日、お勤めが終わって後ろを振り向くと“ぜんざい”が用意されていました。内心「うっわ〜!」と思いながらも、お婆さんがせっかく作ってくれたぜんざいなので食べる決意をして箸を取りました。しかし、一口食べてビックリ! このぜんざいのドロドロとして甘いこと甘いこと! 我慢しながら口に入れるのですが、一口食べるごとに気分が悪くなってくるのがわかります。吐きそうになるのを押さえていると、余計に吐きそうになります。でもそこはプロ、顔は平成を装い、世間話をしたりタバコを吸って時間を稼ぎ、なんとか全部たいらげました。吐く寸前で気分は最悪でしたが、「いやぁ、おいしかったです!」とニコニコ顔でお礼を言いました。 普通なら、これで住職が帰って話は終わりですが、自分を誉めてやりたい住職、要らぬ一言を付け足しましてしまいました。 「おかわり欲しいくらいです」 もう皆さんには話の結末が見えてきたことでしょう。 止める間もなくお婆さん、サッとお椀を引いて、スッと立ち上がって 「おかわり入れてきます!」 2杯目のぜんざいは心なしか、さっきのよりドロドロして甘く見えます。お婆さんがサービスしてくれて量はさっきのより確実に多い…。
このあと、この住職がどうなったか。話はこれで終わりではありません。次に続きます。
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皆さんもこういう時の対処方法を学んでおきましょう! 「おばあさん! すみませんが、タバコを切らしちゃったので買ってきてもらえませんか」と、とりあえずお婆さんを家の外に出した住職は、辺りをキョロキョロ見回します。 どこか捨てられるとこ… タバコの自動販売機まで出かけたお婆さんが帰ってくるまでの間にどこかに捨てようというのです。キョロキョロしていた住職の目についたのが縁です。縁に座り、身を乗り出して縁の下を覗き込むと、うまい具合に縁の下が奥の方まで空いています。考えている時間はありません。右手にお椀を持つと、身を乗り出して、なるべく奥の方に餅が飛ぶように、エイ! すると 「カラ、カラ、カラ〜ン!」
餅と一緒に、お、お椀まで転がっていっちゃいました…(汗)
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『大経(仏説無量寿経)』を拝読していた私の耳に「お早う、お早う!」という声が聞こえてきます。「午後の法事に『お早う』はないだろ?」などと初めはいぶかしく思いましたが、すぐに九官鳥がしゃべっていることに気がつきました。 「オーイ!」「ハーイ!」、「モシモシ」「ハイハイ」 などと、一人、いや一匹で会話しています。それを聞いていた後ろの人たちが少しざわつき笑い声ももれてきます。私もおかしかったのですが、そこはプロ、読経の最中に笑うわけにはいきません。いっそう真面目くさってお経を読んでいました。そのうち場も静まり元の厳粛さを取り戻してきました。 ところが九官鳥もさるもの、静かになったとたんに 「ハッ、ハッ、ハァッ、ハックショ〜ン!」
お経をあげている最中に笑い転げたのはこれが初めてです。 |
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そのお坊さんが仏壇に向かって、ゆっくり「大経(仏説無量寿経)」をよんでいると、だんだん後ろが騒がしくなってきました。子どもが退屈してきてゴソゴソしだしたのです。しかし、ゆっくりしたお経はまだまだ続きます。やがて、大人もちょっと退屈してきたような雰囲気が感じ取られます。お坊さん自身も「ちょっとゆっくり読みすぎたなぁ」と後悔したのですが、お経はまだまだ終わりません。退屈しきった子どもは、とうとう部屋の中を走り回り出しました。「ドタバタ、ドタバタ…」 読経中に走り回るのはもってのほかと、その家の当主であるおじいさんが、走り回る子どもに向かって一喝!(おじいさんは、子どものことをいつも「坊主」と呼んでいました) 「こらぁ! 坊主! ええかげんにせんかっ!」
これに、お坊さんはビックリ! 座布団に座ったまま跳び上がりました。お経を中断し、おそるおそる後ろを振り向くと、おじいさんあわててひれ伏して…。 |
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「チ〜ン!」 と鳴らしたところ、力を入れすぎたためか 「ポコ!」 と下に落ちてしまいました。すると私の後ろにすわっていた幼稚園の男の子が、 「いま、チンポコっていった〜! チンポコ、チンポコ・・・」 と部屋の中を走り出してしまったのです。 その子のお母さんは、自分の息子を止めようとするのですが、自らも笑いをこらえきれず、お腹をかかえてその場に座り込んでしましました。
法事はなんとか終えたものの、それ以来、リンをならす度にその事件を思い出してしまい、にやけ顔を何とか押さえようと、お経をはじめる前には、咳払いがとても多くなった私です。
(広島県・衆徒某)
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その時、後ろで突然「バリバリ、ドカン!」という、雷でも落ちたようなものすごい音がしました。ビックリしてふり向くと…、今まで座っておられた喪主の方と家族の方がいなくなっているではありませんか! どこへいったのか、あたりは騒然としています。 しばらくすると、床の下から一人、二人…、最後に喪主が腰をさすりながらはい上がってこられました。なんと、人の重さに耐えかねて、畳が落ちたのでした。幸い、畳の一方が落ちて、すべり台のようにすべって落ちたので、怪我人はなかったようです。
葬式の時は、ぎゅうぎゅう詰めに座るようになるので、古い家ではときどきこういうことが起こるようです。 |
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最近の葬式の祭壇は、電飾が施されて、明るく賑やか。それでも足りないと思うのか、葬儀屋によっては、モーターとポンプでミニチュアの水車まで回わす。 ある晩、かくも明るい祭壇の前で、吾輩は、お通夜の阿弥陀経をあげておった。ところが突然、 チ〜ン! という鐘の音を合図に、あたりは真っ暗。 幸い阿弥陀経ぐらいは覚えていたので、ろうそく1本の薄明かりの中、お経を止めることはなかったが、まわりは騒然。お通夜の雰囲気はぶっ飛んでしまった。 後で聞けば、あのときの「チ〜ン!」は、台所で使った 電子レンジ の音だったのだという。
(西宮・某オンライン寺院住職)
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お経の初めや終わりには「チ〜ン、チ〜ン!」とリンを打ちますが、お寺の法要では「磬(けい)」と呼ばれるものを使います。左の写真が、その磬ですが、紐でつるされた金属板(もともとは石や玉)を、磬枚(けいばい)と呼ばれるばちで打ちならすのですが、ときにこの磬枚の先についている玉がはずれて飛んでいってしまうことがあります。厳粛な法要が、今まさに始まろうとしています。外陣の参拝者も静かに見まもる中、 「チン、コロコロコロ…」 外陣の参拝者の中には、思わず笑いだす人もいますが、われわれ僧侶はこのようなことでは笑いません(何度か経験してますから)。左の写真は本願寺の磬ですが、よく見ると磬枚が2本用意されています。奥の磬枚が予備のための磬枚です。本山でもたまにこのようなハプニングが起こるのでしょう。 でも、思わずわらってしまったことがあります。そのときは、磬枚の柄が折れて先の玉が飛んでいってしまいました。磬枚の玉が飛んでしまい、代わりの梵音具がないとなると、普通の導師なら何も鳴らさずにお経をはじめるところですが、その導師さんは、すまして口で、 「チン、チン」 と二音! その瞬間、堂内は大爆笑! ところが、その導師さん、すまして調声をしておられる。次の打磬の箇所が近づくにつれ、われわれ結衆はヒヤヒヤです。なぜなら、また口で「チン」。などとやられた時にはおかしくて声が出ないにちがいありません。
それを察してか、そこへ住職が代わりの梵音具を出して来られ、一件落着!?
(姫路市・T住職談)
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ある寺院の報恩講法要での話。行事鐘が鳴り、結衆が内陣に着座しおわりました。伽陀が始まって、導師が入堂してきます。(一般寺院では、導師が後門から直接入堂し登礼盤する作法、つまり直登はみとめられていませんが、当地方ではもっぱら直登で、導師が後堂から直接入堂します)。 導師はゆっくりと祖師前(親鸞聖人の影像が奉懸されている向かって右の脇壇)側から入堂し、結衆の前を歩いて中央の登礼盤に至るのですが、ふと耳を傾けると、 「ペタペタペタ…」 と、変な足音がします。見ると、なんと…導師がスリッパを履いたまま歩いているではありませんか。これに気がづいた祖師前側の結衆たちは、おかしくてたまりません。前代未聞のことですから…。しかし厳粛なる法要の最中、笑うことなどできようはずありません。必死で笑いをこらえています。でも、人間、笑いをこらえればこらえるほど、おかしくなってくるものです。顔はすましていても、肩が小刻みに震えています。咳払でごまかす人もいます。 御代前(向かって左側)側に座っている結衆も、すぐに気づき、やはり必死で笑いをこらえています。導師は結衆の態度を不審に思っているようですが、まだ気づいていません。そして、みんなの関心は、 導師が礼盤に上がる時どうなるか??? にあるようで、全員が笑いをこらえながら、導師の一挙一動に注目しています。しかし、導師は礼盤に上がる前の初めの蹲踞で気がつき、中啓を置く際に上手にスリッパを隠し、何事もなかったかのようにお勤めが始まりました。しかし、お勤めが終わりに近づくにつれて、結衆は 導師はスリッパを履いて帰るのだろうか???
ということが気にかかりだします。すると、またおかしさがまたこみ上げてきて、肩をゆする人、咳払いでごまかす人…。僧侶には、時にこのように笑いをこらえるという試練も必要なのです。 |
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終わりとともに雅楽や読経が始まります。 姫路市内のとあるお寺の若い住職、体重が100キロを軽く超える巨体の持ち主なのですが、法中の報恩講の時に、行事鐘を頼まれました。鐘は本堂の縁の端の方につってあり、撞木(しゅもく)と呼ばれる木槌のようなもので叩きます。 ところが、いつまで経っても行事鐘が鳴りません。結衆が全員着座し終わっても、まだ鳴りません。だた、 「ガタガタッ! ドスン!」 という音が縁の方から聞こえてきました。あまりにもすごい音にご住職が見に行かれると、なんと喚鐘を頼まれたご住職が、縁の床板とともに床下に落っこちているではありませんか。100キロを超える体重に耐えかねて、床板が支えるのをボイコットしたようです。
それ以来、その住職が出勤されると、どこのお寺さんも「うちの床、大丈夫だろうか」「うちの礼盤、だいぶ古いからなぁ」などというつぶやきが聞こえてきます。 |
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いつものように、永代経のお勤めのために知堂室へ案内がきて、私を含めて3人ほどの知堂讃衆が阿弥陀堂へと向かいました。と同時に部屋の電話が鳴り、K氏が電話に応対。たった今でていった者への電話であったために、その人と代わってあげるために、K氏は阿弥陀堂へと急ぎました。 何とか阿弥陀堂へ入る前に交代したK氏は、乱れた息を整えつつ正面に着座。そして、おもむろに合掌をしたときでありました。お念仏は「なまんだぶ」ですが、さっき電話に応対したばかりのK氏は 「もしもし」 しかも、もしもしの前に力強い「ん」も添えて、さいごは言い放つような「っ」もついていました。正確には 「んんもしもしっつ!」 という状態の、いつもと違うお念仏は、静かな御堂にむなしく響きわたるのでした。
(某本山職員)
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わたし「おい、今日本山で仕入れてきた情報だけど、お浄土にはゴルフ場がないって話だ!」二人で大笑いしたのですが、しばらくしてから知人が思い出したように 知人 「いや、大丈夫だ! 前門様が往かれたら、きっと一番にゴルフ場をおつくりになる!」再度二人で大笑いしてしまいました。前門様はお好きなんです。当門様、これをご覧になったら前門様にお願いしておいて下さいませんでしょうか? |