■ 阿弥陀(あみだ)
- 阿弥陀も銭で光る
(あみだもぜにでひかる)
金銭の力は絶大であるというたとえ。
◎阿弥陀仏のご利益(りやく)さえも、供える金の多少によるということから。「阿弥陀の光も銭次第」とも言う。
〔類句〕金の光は阿弥陀ほど/地獄の沙汰も金次第/金さえあれば飛ぶ鳥も落ちる
- 金の光は阿弥陀ほど
(かねのひかりはあみだほど)
金の威力は絶大だというたとえ。
◎阿弥陀如来は、その名を称えれば死後極楽浄土へ導いてくれるという仏だが、金の威光はその阿弥陀の力にもまさるとも劣らないの意から。
〔類句〕阿弥陀も銭で光る
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■ 因果(いんが)
- 因果の小車
(いんがのおぐるま)
悪いおこないに対しては悪い報いがすぐにめぐってくるものだということ。
◎悪い原因があれば悪い結果が、小さな車輪がくるくる回るようにすぐにめぐりめぐってくるの意から。
〔類句〕因果は車の輪の如し
- 因果を含める
(いんがをふくめる)
やむを得ない事情を説明して納得させ、あきらめさせること。
◎原因と結果の道理をこれこれだと説いて言い含めるの意から。
- 親の因果が子に報ゆ
(おやのいんががこにむくゆ)
親の犯した悪いおこないが原因で、なんの罪もない子供がその報いを受けて不幸になること。
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■ 縁(えん)
- 合縁奇縁
(あいえんきえん)
人と人との気心が合う合わないということは、すべてこの世の中の不思議な因縁(いんねん)によるということ。
◎「縁」は巡り合わせの意で、「合縁」は気心の合う縁、「奇縁」は奇(く)しき縁の意。なお「相縁奇縁」とも書く。
- 悪縁 契り深し
(あくえん ちぎりふかし)
よくない縁とわかっていても、そういう悪縁こそなかなか断ち切ることはできないものだということ。
〔類句〕腐れ縁は離れず
- 一樹の陰一河の流れも他生の縁
(いちじゅのかげいちがのながれもたしょうのえん)
この世の中で起こるいっさいのできごとはどんな小さなことでも、すべて前世からの因縁によるのだということ。
◎「他生の縁」は前世で結ばれた因縁の意。一本の樹木の陰にともに宿り、一つ河の流れの水をともに飲み合うのも、みな前世からの因縁によるということから。なお「他生」は「多生」とも書く。
〔類句〕袖すり合うも他生の縁
- 縁なき衆生は度し難し
(えんなきしゅじょうはどしがたし)
人の忠告を聞き入れようとしないやからは救いようがないということ。
◎「度す」は悟りを開かせるの意。「縁」は機会の意。仏の教えを聞く機会のない者では、たとえ仏でもどうにも救いようがないの意から。
- 縁の切れ目は子で繋ぐ
(えんのきれめはこでつなぐ)
夫婦仲が冷たくなり、あわや離婚という事態になっても、子供の存在が切れそうになった縁をつなぎとめてくれるということ。
〔類句〕子は鎹(かすがい)
- 縁は異なもの 味なもの
(えんはいなもの あじなもの)
男と女のめぐりあい、結びつきというものは、予測のつかないほんとうに不思議なもの、おもしろいものだということ。
◎「縁は異なもの」「縁は味なもの」と切り離した形でも言う。いろはがるた(江戸「ゑ」の項)。
- 金の切れ目が縁の切れ目
(かねのきれめがえんのきれめ)
金があるうちは続いていた縁(関係)も金がなくなると、相手はてのひらを返したように冷たくなり、だれもが離れていく。つまり、金がなくなったときが縁の切れるときであり、人間と人間のつながりは金銭上の利害損得によって成り立っているものだということ。
〔類句〕愛想づかしも金から起きる/地獄の沙汰も金次第/阿弥陀の光も金程[=銭次第]
- 腐れ縁は離れず
(くされえんははなれず)
別れようにも別れられず、だらだらと続くのが腐れ縁というもの。こうした悪縁はなかなか断ち切りがたいということ。
〔類句〕悪縁契り深し
- 袖すり合うも他生の縁
(そですりあうもたしょうのえん)
道で見知らぬ人と袖がちょっと触れ合うようなささいなできごとでも、それは単なる偶然ではなくてすべて前世からの因縁によるもの。だから、どんなささやかな出会いもたいせつにせよということ。
◎「他生」は前世からの因縁の意で、「多生」とも書く。また、「袖振り合うも他生の縁」「袖触れ合うも他生の縁」などとも言う。いろはがるた(京都)。
〔類句〕一樹の陰一河の流れも他生の縁/躓く石も縁の端
- 袖振り合うも他生の縁
(そでふりあうもたしょうのえん)
→袖すり合うも他生の縁
- 躓く石も縁の端
(つまずくいしもえんのはし)
世の中で出あうことすべて、不思議ななんらかの縁で結ばれているということ。
◎ふとつまずいた石も、数ある石の中でたまたまそれにぶつかったわけだから、たとえ縁のはしくれといっても縁あればこそのことだの意から。
〔類句〕袖すり合うも他生の縁/一樹の陰一河の流れも他生の縁
- 釣り合わぬは不縁のもと
(つりあわぬはふえんのもと)
育った境遇がかけ離れていて釣り合いが取れない者どうしの結婚は、うまくいかなくなることが多いということ。
◎「不縁」は離縁の意。
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■ 閻魔(えんま)
- 閻魔が塩を嘗めたよう
(えんまがしおをなめたよう)
にがむしをかみつぶしたようなむずかしい顔をたとえていう。
◎「閻魔が塩辛を嘗めたよう」「閻魔が抹香を嘗めたよう」とも言う。
- 閻魔の色事
(えんまのいろごと)
釣り合わないこと。不似合いなこと。
〔類句〕尼御前(あまごぜん)の紅。
- 閻魔の帳に付く
(えんまのちょうにつく)
あの世のものとなる。死ぬ。
◎地獄の閻魔大王の帳面に生前の罪業が記録されることより転じて。『俚言集覧』では「閻魔の庁に就くが正しいとし、死者の生前の行為を裁く閻魔大王の法廷に出向く(死ぬ)意とする。
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■ 往生(おうじょう)
- 往生もふのもの
(おうじょうもふのもの)
よい往生を遂げるには、日ごろの信心もさることながら、やはりその人の運と言うことが左右する。
◎「ふ」は、運、巡り合わせの意。
- 弁慶の立ち往生
(べんけいのたちおうじょう)
進むこともできず、かと言って退くこともできず、動きのとれないことのたとえ。
◎「往生」は死ぬこと。衣川(ころもがわ)の合戦で、主君源義経(みなもとのよしつね)を守るために武蔵坊(むさしぼう)弁慶が、敵の矢を満身に受けながら、長刀(なぎなた)を杖(つえ)にして立ったまま往生したという伝説から。
〔例〕「弁慶と賢虚は立って往生し」(古川柳)
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■ 和尚(おしょう)
- 衣ばかりで和尚はできぬ
(ころもばかりでおしょうはできぬ)
形だけ整っていても中身が伴わなければものの役には立たないというたとえ。
◎単に僧衣をまとっただけでは僧侶(そうりょ)にはなれない。それなりの仏心を持たなければならないの意から。
- 納所から和尚
(なっしょからおしょう)
一足飛びに出世することのたとえ。また、一足飛びの出世などはありえず、ものごとはそれなりの順序を踏まなければならないというたとえ。
◎「納所」は寺の事務をとる所で、下級の僧侶(そうりょ)のこと。納所からいきなり和尚にはなれないの意から。
- 端から和尚はない
(はなからおしょうはない)
なにごとにも順序・段階というものがあって、一足飛びに事は成らないというたとえ。
◎「端」はものごとの最初の意。
〔類句〕沙弥から長老にはなれぬ/生まれながらの長老なし
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■ 餓鬼(がき)
- 鬼の餌食を餓鬼が取る
(おにのえじきをがきがとる)
思いもよらない、到底不可能な望み。
◎地獄の痩せさらばえた亡者が鬼の食べ物を奪い取ろうとする意から。
- 鬼の前の餓鬼
(おにのまえのがき)
到底敵しがたい強力な者の前に弱い者が恐れすくむたとえ。
◎地獄の鬼の前にいる亡者が、鬼を恐れてすくむことから。
〔類句〕鷹に会った雀。猫に会った鼠。蛇におうた蛙。
- 餓鬼に苧殻
(がきにおがら)
なんの頼りにも力にもならないことのたとえ。無意味でなんにもならないこと。
◎やせ衰えた餓鬼が折れやすい麻の茎をふりまわす意から。
- 餓鬼の断食
(がきのだんじき)
当然のことなのに、特別なことをしているかのようにつくろうことをたとえていう。
◎断食をしようと思わなくても、すでに断食の状態である餓鬼なのに、の意から。
〔類句〕乞食の断食。
- 餓鬼の花争い
(がきのはなあらそい)
不必要なことで争いを起こしたり、役に立たないことに熱中したりする愚かさをたとえていう。
◎餓鬼にとって最も必要なものは食べ物であるのに、役にも立たない花で争っている、の意から。
- 餓鬼の目に水見えず
(がきのめにみずみえず)
熱望しすぎて、かえって求める物が近くにあるのに気がつかないことのたとえ。また、物事に熱中しすぎて、かえって肝心な物を見落とすことのたとえ。
◎常にのどが渇いて苦しんでいる餓鬼には、かえって求めている水が目に入らない、の意から。
- 餓鬼の物に脾虫が付く
(がきのものにひむしがつく)
餓鬼の持っている飲食物に脾虫がたかる意。貧しい者から金品をせびりとるたとえ。
◎「脾虫」は、脾疳(=腹だけふくれて他の部分がやせる子供の病気)を虫のせいとしていったもの。「餓鬼の物を脾虫がせびる」とも言う。
- 餓鬼の物を千人で食う
(がきのものをせんにんでくう)
分け前が非常に少ないことのたとえ。
◎ただでさえ少ない餓鬼の食物を千人で分ける意から。
- 餓鬼の物をびんずる
(がきのものをびんずる)
貧しい者から金品を強引に奪い取るたとえ。
◎「げんずる」は「引取(ひんど)る」の変化したものか。餓鬼の縁で、十六羅漢の一つである賓頭盧(ひんずる)にかけていう。
- 餓鬼も人数
(がきもにんず)
つまらない人間でも、時には多少の役割を果たすこと。また、多く集まればその勢いもあなどりがたくなることのたとえ。
〔類句〕枯れ木も山の賑わい。
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■ 鐘(かね)
- 打たぬ鐘は鳴らぬ
(うたぬかねはならぬ)
原因がなければ結果は生じない。
◎「打たねば鳴らぬ」とも言う。
- 鐘鋳るまでの土鋳型
(かねいるまでのつちいがた)
(1) 目的達成までの手段・策略として用いるだけのもののたとえ。
◎鐘を鋳るためにはまず土鋳型を作るが、鐘ができ上がればその土鋳型は不要のものとしてこわされてしまうことより。
(2) 成功するまでは粗末なもので我慢することをいう。一時の間に合わせにすることのたとえ。
- 鐘も撞木の当たり柄
(かねもしゅもくのあたりがら)
こちらのし向けようによって相手の出方もそれ相応に違うということ。また連れ添う相手次第でよくもわるくもなること。
◎鐘の音のよしあしは、撞木の当たり具合一つだということから転じて。
- 提灯に釣り鐘
(ちょうちんにつりがね)
まったく釣り合わないこと、比べものにならないことのたとえ。
◎提灯と釣り鐘は形はよく似ているが、大きさや重さがまるで違うことから。
〔類句〕月と鼈(すっぽん)/瓢箪に釣り鐘
- 瓢箪に釣り鐘
(ひょうたんにつりがね)
差がありすぎて比べものにならず、釣り合いがとれないことのたとえ。
◎瓢箪と釣り鐘とでは、ぶら下がるという点では同じだが、重さ大きさは比較にならない差があることから。
〔類句〕提灯に釣り鐘/月と鼈(すっぽん)
- 耳を掩うて鐘を盗む
(みみをおおうてかねをぬすむ)
悪いこと、恥ずかしいことだと知りながら、むりになにも考えないようにしておこなうことのたとえ。また、自分ではうまく罪を隠しおおせたつもりでも、人々には広く知れわたっていることのたとえ。
◎盗もうとした鐘が重すぎるので割って運ぼうと槌(つち)でたたいたところ大きな音がしたので、人に聞かれるのではないかと恐れ、愚かにも自分の耳をおおったという故事から。「耳を掩うて鈴を盗む」とも言う。
〔出典〕呂氏春秋(りょししゅんじゅう)
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■ 経(きょう)
- 牛に経文
(うしにきょうもん)
いくら説き聞かせてもききめもないことのたとえ。
◎「牛に説法、馬に銭」とも言う。
〔類句〕馬の耳に念仏。犬に論語。
- 遺教経へ参ろより釜の下へ参れ
(いききょうへまいろよりかまのしたへまいれ)
説教を聞きに行って寒い思いをするより、釜の前で日に当たっているほうがよいの意。
◎「いききょう」は、正しくは「ゆいきょうぎょう」で、釈尊の臨終に当たっての教えをしるした経で、2月9日から15日まで京都の大報恩寺でこれを訓読する遺教経会(ゆいきょうぎょうえ)が行われた。
- お経も布施次第
(おきょうもふせしだい)
→布施だけの経を読む。
- お釈迦さまにもお経、鬼めにも黒鉄の寄り棒
(おしゃかさまにもおきょう、おにめにもくろがねのよりぼう)
どんな人にもそれなりの道具が必要なことのたとえ。
◎「寄り棒」は捕吏などが持っている、樫の木などで作った棒。
- 滑り道とお経は早い方がよい
(すべりみちとおきょうははやいほうがよい)
滑りやすくて足を取られるぬかるみの道は人より先に歩くほうが歩きやすいし、退屈なお経も短くて早く終わってくれるほうがありがたいということ。
◎「滑り道と観音経(かんのんきょう)は早い方がよい」とも言う。
- 堂が歪んで経が読めぬ
(どうがゆがんできょうがよめぬ)
自分の怠慢を棚に上げ、失敗の責任を他になすりつけることのたとえ。また、実行が伴わず、理屈をこねてばかりいることのたとえ。
◎僧がうまく経が読めないのは堂が歪んでいるからだと言い訳をするの意から。
〔類句〕地が傾いて舞が舞われぬ
- 習わぬ経は読めぬ
(ならわぬきょうはよめぬ)
習ってもいないお経を読むことができないように、知らないことはいくらやれと言われてもできないということ。
〔例〕「習わぬ経を覚えたで孟母(もうぼ)越し」(古川柳)
- 人の頼まぬ経を読む
(ひとのたのまぬきょうをよむ)
頼まれもしないのにでしゃばってよけいな手出しをするたとえ。
- 布施だけの経を読む
(ふせだけのきょうをよむ)
僧が、もらった金に見合っただけの経を読む。もらった金に見合うだけの仕事をすることのたとえ。
- 豚に念仏 猫に経
(ぶたにねんぶつ ねこにきょう)
理解できない相手に、ありがたい教えや、ためになることをいくら言って聞かせてもなんの効果もなく、むだであることのたとえ。
◎豚に念仏を、猫にお経を聞かせても、そのありがたみはわからないことから。
〔類句〕馬の耳に念仏/犬に論語/犬の前の説教
- 門前の小僧 習わぬ経を読む
(もんぜんのこぞう ならわぬきょうをよむ)
毎日のように繰り返し見たり聞いたりしていると、習わなくてもいつの間にか覚えてしまうということ。
◎寺の門前に住む子供は、いつの間にか聞き覚えて、習ったこともない経を読むようになるの意から。いろはがるた(江戸)。
〔類句〕勧学院の雀は蒙求を囀る
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■ 香(こう)
- 薫は香を以て自ら焼く
(くんはこうをもってみずからやく)
才能ある者が、その才能のためにかえって身を滅ぼすことがあるたとえ。
◎「薫」は香草のこと。香草はそのよい香りゆえに焼かれることになるの意から。
〔出典〕漢書(かんじょ)
- 沈香も焚かず 屁もひらず
(じんこうもたかず へもひらず)
可もなく不可もなく、毒にも薬にもならず、平々凡々であること。
◎沈香を焚いて風流なよい香りを放つわけでもなく、さりとてくさいおならをするわけでもなく、なんの特徴もとりえもないの意から。
〔例〕「沈香も焚くが屁もひる僧都也(なり)」(古川柳―「僧都」は僧の階級の一つ)
〔類句〕毒にも薬にもならぬ
〔対句〕悪に強ければ善にも強し
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■ 極楽(ごくらく)
- あって地獄 なくて極楽
(あってじごく なくてごくらく)
財産とか子供とかいうものは、むしろないほうが気楽だということ。
◎金があれば盗難の心配、子供がいれば子育てに苦労はつきもの、金も子供もあれば地獄の苦しみ、なければ極楽のように気楽だということから。
- 聞いて極楽 見て地獄
(きいてごくらく みてじごく)
人から聞かされた話と実際のもの、現実のものとが、まるっきり違うことのたとえ。
◎話に聞いたかぎりではまるで極楽のように思われたことが、現実に見てみたら地獄のありさまだったということから。いろはがるた(江戸)。
〔類句〕見ての極楽住んでの地獄/聞くと見るとは大違い
- 極楽の入り口で念仏を売る
(ごくらくのいりぐちでねんぶつをうる)
すべてを知りつくしている人に対して教えること。また、なんの役にも立たないことをすること。
〔類句〕釈迦に説法
- 信心過ぎて極楽を通り越す
(しんじんすぎてごくらくをとおりこす)
信心も度を越すと迷信に陥るなど、かえって害をもたらす。信心もほどほどにせよというたとえ。
- 地獄極楽は心にあり
(じごくごくらくはこころにあり)
地獄や極楽はあの世に存在するわけではない。今現在この世に生きている人々の心の中に存在する。つまり、心の持ち方ひとつで、地獄にもなれば極楽にもなるのだということ。
- 他人の念仏で極楽参り
(たにんのねんぶつでごくらくまいり)
他人のものに便乗して自分の利益をはかったり、義理を済ましたりすることのたとえ。
◎他人の唱えた念仏のご利益(りやく)で、自分が極楽へ行こうとすることから。
〔類句〕人の牛蒡で法事する/人の褌で相撲を取る
- ないが極楽 知らぬが仏
(ないがごくらく しらぬがほとけ)
貧しい者は財産のために気苦労などする必要がないし、ぜいたくの味も知らないので欲のために心を悩ませることもない。だから、かえって貧乏のほうが気が楽で、時には金持ちよりも幸せな場合があるということ。
- 寝る間が極楽
(ねるまがごくらく)
寝ている間だけは、どんな気苦労も心配事も忘れ去って、まるで極楽にでもいるかのように平穏であるということ。
〔類句〕寝た間は仏/寝るほど楽はない
- 見ての極楽 住んでの地獄
(みてのごくらく すんでのじごく)
よそから眺めているのと実際に経験するのとでは、非常に大きな違いがあることのたとえ。
◎ただ見ただけでは極楽に見えるが、実際にそこに住んでみるとまるで地獄みたいだの意から。「見ては極楽住んでは地獄」とも言う。
〔類句〕聞いて極楽見て地獄
- 見ぬは極楽 知らぬは仏
(みぬはごくらく しらぬはほとけ)
気がつけば腹が立つことでも、気がつかなければなにもなかったのと同じことになるということ。
◎不愉快なことも、見なければ極楽にいるように平穏な気分でいられるし、知らなければ仏様のようにやさしい気持ちでいられるの意から。
〔類句〕知らぬが仏
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■ 後光(ごこう)
- 後光より台座が高くつく
(ごこうよりだいざがたかくつく)
ものごとは目立たない土台となる部分にお金がかかるものだということ。
◎仏像はうしろに添えられている光背より、人の目を引かない台座のほうが費用がかかるの意から。
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■ 後生(ごしょう)
- 現世安穏 後生善処
(げんぜあんのん ごしょうぜんしょ)
法華経の仏法を信じることで、この世では安穏な生活を送ることができ、あの世ではよい世界に生まれることができるということ。
◎「後生」は来世。「善処」は衆生が善いおこないをした報いとして行く天上の世界。
- 後生が大事
(ごしょうがだいじ)
信心し、善行を積んで、来世で安楽に暮らせることを願うのがたいせつだということ。
◎「後生」は、死後極楽に生まれて安楽を得ること。
〔例〕「どうしたか後家は後生をはたと止(や)め」(古川柳)
- 後生願いの六性悪
(ごしょうねがいのろくしょうあく)
来世の安楽を願っていながら、徳を積むどころか、かえってたちの悪いことをすること。
◎「後生」は、死後極楽に生まれて安楽を得ること。なお「六性悪」は、喜・怒・哀・楽・愛・悪の六つの感情をいう「六性」と「性悪(しょうわる)」をかけて、たちの悪いことをあらわしたものと思われる。
- 後生は徳の余り
(ごしょうはとくのあまり)
現世の生活にゆとりがあればこそ、来世の幸せを祈ることができるということ。
◎「後生」は死後の世界のこと。
〔類句〕信心は徳の余り
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■ 地蔵(じぞう)
- 色観音に取り持ち地蔵間男薬師
(いろかんのんにとりもちじぞうまおとこやくし)
色事の成就には観音様が、男女の仲の取り持ちには地蔵様が、密会には薬師様がそれぞれ霊験がある。
- 石地蔵に蜂
(いしじぞうにはち)
なんとも感じないことのたとえ。
◎石地蔵を蜂が刺しても、痛くもかゆくもないことから。
〔類句〕牛の角を蜂が刺す
- 借りる時の地蔵顔返す時の閻魔顔
(かりるときのじぞうがおかえすときのえんまがお)
金などを借りるときは、相手の機嫌を取ろうとやさしいにこにこ顔をするが、返すときになると、渋い不機嫌な顔になる。人間は身勝手なものだということ。
◎「地蔵顔」は地蔵菩薩(ぼさつ)に似たやさしい顔。「閻魔顔」は地獄の閻魔大王のような恐ろしい顔。「借りる時の地蔵顔済(な)す時の閻魔顔」とも言う。
〔例〕「借りに来た時は正直そうな顔」(古川柳)
〔類句〕用ある時の地蔵顔用なき時の閻魔顔
- 地蔵の顔も三度
(じぞうのかおもさんど)
→仏の顔も三度
- 地蔵は言わぬがわれ言うな
(じぞうはいわぬがわれいうな)
秘密の話をするときには、相手に対しては話さないように念を押すものだが、秘密が漏れるとすれば、相手が漏らすより自分がうっかりしゃべってしまうことからだということ。自分自身の口に気をつけろという戒め。
- 用ある時の地蔵顔用なき時の閻魔顔
(ようあるときのじぞうがおようなきときのえんまがお)
人は勝手なもので、何か人に頼み事があるときにはお地蔵様のようにやさしいにこにこ顔をするが、用事がないときには閻魔様のように不愛想な顔つきになるということ。
〔類句〕借りる時の地蔵顔返す時の閻魔顔
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■ 釈迦(しゃか)
- お釈迦様でも気がつくまい
(おしゃかさまでもきがつくまい)
なんでもお見通しの釈迦でさえも、気がつかないだろうということ。悪事をはたらく者が、そのたくらみの成功を確認したり、願ったりして言うことば。
- お釈迦さまにもお経、鬼めにも黒鉄の寄り棒
(おしゃかさまにもおきょう、おにめにもくろがねのよりぼう)
どんな人にもそれなりの道具が必要なことのたとえ。
◎「寄り棒」は捕吏などが持っている、樫の木などで作った棒。
- 釈迦に説法
(しゃかにせっぽう)
あたかもお釈迦様に仏法を説くように、よく知り尽くしている人に対して、ものを教えようとする愚かさのたとえ。
◎「釈迦に説法、孔子に悟道」とも言う。なお「悟道」は悟りを開く道の意。また「釈迦に経(きょう)」とも言う。
〔類句〕河童に水練/極楽の入り口で念仏を売る
- 世渡りの殺生は釈迦も許す
(よわたりのせっしょうはしゃかもゆるす)
お釈迦様も生計のためにする多少の殺生ならお許しになる。生活のためなら、少しぐらいあくどいまねをするのもやむを得ないということ。
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■ 出家(出家)
- 医者の若死に出家の地獄
(いしゃのわかじにしゅっけのじごく)
医者は不養生して若死にをし、僧侶は堕落して地獄に堕ちる者が多い。他人を救う立場にある者も、自分を救うことは難しいことのたとえ。
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■ 衆生(しゅじょう)
- 縁なき衆生は度し難し
(えんなきしゅじょうはどしがたし)
人の忠告を聞き入れようとしないやからは救いようがないということ。
◎「縁」は機会の意。仏の教えを聞く機会のない者では、たとえ仏でもどうにも救いようがないの意から。
- 衆生済度
(しゅじょうさいど)
この世の人々を迷いや苦しみの多い世界から救って、悟りの境地を得させ、幸せな彼岸に導くこと。
◎「衆生」は悩み迷える人々、「済度」は人々を救って彼岸に渡すの意。
〔例〕「衆生済度にくにぐにを遊行する」(古川柳)
- 衆生を離れて仏なし
(しゅじょうをはなれてほとけなし)
仏教は民衆に教えを説き、信仰させるのが目的であるから、民衆を離れてはあり得ない。
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