■ 精進(しょうじん)
- 鰯で精進落ち
(いわしでしょうじんおち)
つまらないことで、長い間のせっかくの努力が報われなかったり、むだになったりして、がっかりすることのたとえ。また、つまらないことでたいせつな戒めや誓いを破ることのたとえ。
◎「精進落ち」は「精進明け」とも言い、魚肉類を食べずにもっぱら菜食で身を清浄に慎む精進の期間が終わって、魚肉類を食べること。このせっかくの精進落ちを鰯のようなつまらない魚でするの意から。「鰯で飲んで精進落とす」とも言う。
- 精進潔斎
(しょうじんけっさい)
ある一定の期間、飲食を慎んで身を清めること。
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■ 信心(しんじん)
- 鰯の頭も信心から
(いわしのあたまもしんじんから)
たとえどんなつまらないものでも信心のしかたしだいで、尊くありがたいものになるということ。
◎鰯の頭のようなごくつまらないものでも、信心しだいでは貴重な信仰の対象になるの意から。節分の夜に、鰯の頭を柊(ひいらぎ)の枝にさして門口に置くと悪鬼を追い払うという風習からきたことば。いろはがるた(京都「ゐ」の項)。
- 信心過ぎて極楽を通り越す
(しんじんすぎてごくらくをとおりこす)
信心も度を越すと迷信に陥るなど、かえって害をもたらす。信心もほどほどにせよというたとえ。
- 信心は徳の余り
(しんじんはとくのあまり)
信心は衣食住の生活に余裕があって、はじめてできるものだということ。
〔類句〕後生は徳の余り
- 信心も欲から
(しんじんもよくから)
信心も、結局のところ、よいご利益を望む欲からするということ。
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■ 説教(せっきょう)
- 犬の前の説教
(いぬのまえのせっきょう)
理解できない相手に、ありがたい教えや、ためになることをいくら言って聞かせてもなんの効果もなく、むだであることのたとえ。
◎犬の前で説教をしても、そのありがたみはわからないことから。
〔類句〕馬の耳に念仏/犬に論語/豚に念仏、猫に経
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■ 説法(せっぽう)
- 釈迦に説法
(しゃかにせっぽう)
あたかもお釈迦様に仏法を説くように、よく知り尽くしている人に対して、ものを教えようとする愚かさのたとえ。
◎「釈迦に説法、孔子に悟道」とも言う。なお「悟道」は悟りを開く道の意。また「釈迦に経(きょう)」とも言う。
〔類句〕河童に水練/極楽の入り口で念仏を売る
- 百日の説法 屁一つ
(ひゃくにちのせっぽう へひとつ)
長い間の苦労がほんのちょっとしたしくじりのために、まったくむだになってしまうことのたとえ。
◎百日間もありがたい説法を厳かに説き続けてきた坊さんがおならを一つしたために、厳粛な雰囲気がこわれ、せっかくの百日間の説法のありがたみが消し飛んでしまうの意から。
〔類句〕九仞の功を一簣に虧く/磯際で舟を破る
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■ 法(ほう)を説(と)く
- 機に因りて法を説け
(きによりてほうをとけ)
時や場合をわきまえず、むやみやたらに道理を説いて聞かせてもむだだ。その道理にぴったり合った機会をとらえて説かなければ効果は上がらないということ。
◎ただむやみに説法するのではなく、機会に即応して仏法を説けという仏教のことばから。
〔類句〕人を見て法を説け
- 人を見て法を説け
(にんをみてほうをとけ)
→人を見て法を説け
- 人を見て法を説け
(ひとをみてほうをとけ)
他人にものを説くときには、相手の性格などをよく見きわめて、相手に適した説明の方法を取れということ。
◎相手の人となりを見定め、相手に適したやり方で仏法を説けの意から。「人」は「にん」とも言う。
〔類句〕機に因りて法を説け
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■ 僧(そう)
- 虚無僧に尺八
(こむそうにしゃくはち)
必ず付いている物、付き物のたとえ。
- 似合わぬ僧の腕立て
(にあわぬそうのうでたて)
ふさわしくないことをするたとえ。
◎「腕立て」は腕力にものを言わせること。僧侶(そうりょ)が腕力をたのむのは不似合いであることから。「いらざる僧の腕立て」とも言う。
- 門前の小僧 習わぬ経を読む
(もんぜんのこぞう ならわぬきょうをよむ)
毎日のように繰り返し見たり聞いたりしていると、習わなくてもいつの間にか覚えてしまうということ。
◎寺の門前に住む子供は、いつの間にか聞き覚えて、習ったこともない経を読むようになるの意から。いろはがるた(江戸)。
〔類句〕勧学院の雀は蒙求を囀る
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■ 寺(てら・じ)
- 牛に引かれて善光寺参り
(うしにひかれてぜんこうじまいり)
たまたま他人に連れられて、ある場所へ出かけて行くこと。また、自分の意志からではなく他人の誘いで、思いがけないよい結果を得たり、よい方面へ導かれたりすることのたとえ。
◎昔、信濃(しなの)(長野県)の善光寺近くに住みながら、信仰心など持ち合わせていなかったおばあさんが、ある日さらしておいた布を隣の家の牛が角(つの)にひっかけて走り出したのを見て、それを追っていくうちに、いつの間にか善光寺に駆けこみ、それが縁で深く信心するようになったという説話から。なお「参り」は「詣り」とも書く。
〔例〕「よき牛があったで拝む善光寺」(古川柳)
- 老い善光寺、若西国
(おいぜんこうじ、わかさいこく)
老人は後生を願って善光寺に参詣し、青年は旅を楽しみながら西国巡礼をするということ。
- お寺開くか緋衣着るか
(おてらひらくかひごろもきるか)
堕落した行為を続けて寺を退去するか、修行にはげんで高僧となって緋の衣を許されるか、どちらを選ぶかも心一つであるということ。
◎「開く」は、逃げる、退去するの意。
- 随徳寺をきめる
(ずいとくじをきめる)
その後のことなどまったくかまわずに、逃げ出すこと。
◎勢いよく行動するようすを表す「ずいと」を寺の名のように言ったしゃれことば。「一目散」を「一目山」と山号にして「一目山随徳寺」とも言う。
- 尊い寺は門から知れる
(たっといてらはもんからしれる)
すぐれてりっぱなものは、外見からでもうかがい知ることができるということ。
◎尊い寺は、門構えからしてりっぱで、訪れる者にありがたみを感じさせるの意から。
- 敵は本能寺にあり
(てきはほんのうじにあり)
ほんとうの目的がまったく別のところにあることのたとえ。
◎戦国時代、明智光秀(あけちみつひで)が備中(びっちゅう)(岡山県)の毛利(もうり)攻めに出向くと見せかけておいて、突如進路を変え、京都の本能寺で織田信長(おだのぶなが)を討ったという故事から。
- 寺から里へ
(てらからさとへ)
ものごとの順序が本来とはあべこべ、逆さまなことのたとえ。
◎「里」は檀家(だんか)の意。ふつう檀家から寺へ供物を届けるものなのに、寺から檀家へ物を贈るのでは逆であることから。いろはがるた(京都)。
〔類句〕本末転倒
- 寺にも葬式
(てらにもそうしき)
どんなものも順番というものがある。不幸だって避けることはできず、めぐりめぐっていずれやってくるということ。
◎他人の葬式をおこなう寺にも、自分の身内の葬式を出さなければならないときがあるの意から。
- 寺の隣に鬼が棲む
(てらのとなりにおにがすむ)
慈悲に満ちた寺の隣に冷酷無比な鬼が棲んでいるように、善人と悪人とが入り混じり同居しているのがこの世の中だというたとえ。
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■ 仏(ぶつ)
- 男の心と大仏の柱は太うても太かれ
(おとこのこころとだいぶつのはしらはふとうてもふとかれ)
男は気が大きくなければならぬという意。
◎「男の心と大黒柱は太うても太かれ」とも言う。
- 砂を集めて仏塔と成す
(いさごをあつめてぶっとうとなす)
(1) 非常に気の長いことのたとえ。また、むなしい作業のたとえ。
(2) 仏の功徳の広大であるたとえ。
- 一一文文是真仏
(いちいちもんもんぜしんぶつ)
経文の一字一字はすべて仏の化身であるということ。
◎中国並州の書家李遺竜が、司馬の願いにより、不信心の父の遺戒に背いて法華経の題目64字を書いたところ、夢にその一字一字が化仏となり、地獄に堕ちていた父を救うのを見たという故事による。
- 木仏 金仏 石仏
(きぶつ かなぶつ いしぼとけ)
人情の機微がわからない無骨(ぶこつ)者のたとえ。
- 銭あれば木仏も面を返す
(ぜにあればきぶつもつらをかえす)
どんなに冷淡な者でも、金にだけは心を動かすということ。
◎銭があれば、感情を持ち合わせていない木仏でさえも、こちらを振り向くの意から。
〔類句〕銭ある時は石仏も頭を返す
- 多情仏心
(たじょうぶっしん)
感情豊かで移り気ではあるが、薄情(はくじょう)なまねのできない性質のこと。
◎「多情」は感受性が豊かなこと。「仏心」は慈悲深い仏のような心のこと。
- 女房 鉄砲 仏法
(にょうぼう てっぽう ぶっぽう)
女性は雰囲気をやわらげ、鉄砲は凶悪なものを鎮圧し、仏法は人の心を正しく教え導く。この三つの力で世の中の無事平穏が保たれるということ。
◎「房(ぼう)」「砲(ぽう)」「法(ぽう)」と語呂を合わせて調子よく言ったことば。
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■ 仏(ほとけ)
- いらぬ仏の持ち重り
(いらぬほとけのもちおもり)
仏など不要だと思っている信仰心のない人が仏像を運ぶと、持っているうちにだんだん重さが増してくるように感じられるの意。
- 鬼にもなれば仏にもなる
(おににもなればほとけにもなる)
人間は相手しだい、出方しだいで、鬼のように恐ろしい存在にもなれば、仏のようにやさしい存在にもなるということ。
- 神と仏は水波の隔て
(かみとほとけはすいはのへだて)
神は、本地である仏が仮に姿を現したものであるから、水と波との関係のように、形だけの違いで、もとは同じものであるの意。◎「神仏(かみほとけ)は水波の隔て」とも「仏神(ぶつじん)は水破の隔て」とも言う。
- 神仏人を殺さず
(かみほとけひとをころさず)
神仏は慈悲深く、どんな場合にも人を見捨てない。
〔類句〕天道人を殺さず。
- 木仏 金仏 石仏
(きぶつ かなぶつ いしぼとけ)
人情の機微がわからない無骨(ぶこつ)者のたとえ。
- 事ある時は仏の足を戴く
(ことあるときはほとけのあしをいただく)
ふだんは信仰心などないような人でも、なにかあったときには仏の足元にひれ伏して助けを求め、一心に祈るということ。
〔類句〕苦しい時の神頼み
- 彩ずる仏の鼻を欠く
(さいずるほとけのはなをかく)
念を入れすぎたため、かえってたいせつな部分をこわしてしまうたとえ。
◎「彩ずる」は彩色を施して飾るの意。仏像を作り上げるのに、もう少しよくしようと手を入れているうちに肝心な鼻を欠いてしまうことから。
〔類句〕過ぎたるは猶及ばざるが如し
- 知らぬが仏
(しらぬがほとけ)
知っていれば腹の立つことでも、知らなければ怒ることもないわけで、仏のようにおだやかにしていられるということ。また、実態を知らずに、のほほんとしている人をあざわらって言うことば。
◎いろはがるた(江戸)。
〔例〕「知らぬが仏間男が通夜をして」(古川柳)
〔類句〕見ぬは極楽知らぬは仏/聞けば聞き腹
- 知らぬ仏より馴染みの鬼
(しらぬほとけよりなじみのおに)
どんなによい人でもよく知らない人よりは、懇意な人、身近な人のほうが心強いし、頼りになるということ。
◎知らない仏様より、よく知っている鬼のほうがまだましだの意から。「知らぬ神より馴染みの鬼」とも言う。
- 地獄で仏に会ったよう
(じごくでほとけにあったよう)
ひどく困っているときに、思いがけない助けに出会って喜ぶことのたとえ。
◎あたかも恐ろしい地獄で慈悲深い仏様にひょっこり会ったようなうれしさの意から。略して「地獄で仏」と言う。
〔類句〕闇夜の提灯/干天の慈雨
- 土仏の水遊び
(つちぼとけのみずあそび)
自分で自分を滅すこと。身のほどを知らずに無謀なことをするたとえ。
◎土で作った仏が水遊びをしたら、溶けてしまうの意から。「土人形の水遊び」とも言う。
- ないが極楽 知らぬが仏
(ないがごくらく しらぬがほとけ)
貧しい者は財産のために気苦労などする必要がないし、ぜいたくの味も知らないので欲のために心を悩ませることもない。だから、かえって貧乏のほうが気が楽で、時には金持ちよりも幸せな場合があるということ。
- 寝た間は仏
(ねたまはほとけ)
人間、寝ている間だけが、現実の苦労を忘れて、仏のような心になれる唯一の時だということ。
〔類句〕寝る間が極楽/寝るほど楽はない
- 仏千人 神千人
(ほとけせんにん かみせんにん)
世の中には悪人もいるにはいるが、善人もまたたくさんいるということ。
◎世間には仏様や神様のようなよい人がたくさんいるの意から。
- 仏作って魂入れず
(ほとけつくってたましいいれず)
ものごとは、肝心の部分がおろそかにされると、結局はなんにもならないということ。
◎仏像を作っても、魂を入れなければせっかくの仏像が仏像としての意味をなさなくなるの意から。
〔類句〕画竜天睛を欠く/九仞の功を一簣に虧く
- 仏の顔も三度
(ほとけのかおもさんど)
どんなに情け深く心やさしい人でも、度重ねてひどい仕打ちを受けると、しまいには怒り出すということ。
◎慈悲深く心の広い仏でも、三度も顔を撫(な)でまわされてばかにされれば、ついには怒り出すの意から。「地蔵の顔も三度」とも言う。いろはがるた(京都)。
〔類句〕兎も七日なぶれば噛みつく
- 仏は見通し
(ほとけはみとおし)
仏はどんな小さなことでも見ている。仏は何でもご存じであるから、ごまかすことはできない。
◎「神仏は見通し」とも言う。
- 仏ほっとけ 神構うな
(ほとけほっとけ かみかまうな)
信心や信仰も、ほどほどにしておいたほうがよいということ。
◎「仏」と「ほっとけ」、「神」と「かまうな」と語呂を合わせ、調子よく言ったことば。
- 仏も昔は凡夫なり
(ほとけもむかしはぼんぷなり)
どんな人でも仏のようなりっぱな人物になれる素質を持っているということ。
◎「仏」は釈迦(しゃか)、「凡夫」は凡人の意。あの釈迦でさえ、もとは煩悩に迷うごく普通の人間だったの意から。
- 見ぬは極楽 知らぬは仏
(みぬはごくらく しらぬはほとけ)
気がつけば腹が立つことでも、気がつかなければなにもなかったのと同じことになるということ。
◎不愉快なことも、見なければ極楽にいるように平穏な気分でいられるし、知らなければ仏様のようにやさしい気持ちでいられるの意から。
〔類句〕知らぬが仏
- 我が仏尊し
(わがほとけとうとし)
自分がよいと思うことや、自分が持っているものが、ほかのどんなものよりもよい、すぐれていると思い込むこと。
◎自分の寺の仏がほかの寺のどの仏より尊く思われるの意から。「吾が仏尊し」「我が家の仏尊し」「我が寺の仏尊し」とも言う。
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■ 坊主(ぼうず)
- 後ろ坊主の前角鬘
(うしろぼうずのまえすみかずら)
後ろ姿はよくないが、前から見ると美しいこと。
◎「角鬘」は角前髪(すみまえがみ)の鬘。少年の美しい髪形。「後ろ千両前一文」の反対。
- 牛は坊主の生まれ変わり
(うしはぼうずのうまれかわり)
牛の飼料には全然なまぐさ気がなく、また、魚の骨が入っても牛は食わないといわれることを、なまぐさ気を避ける僧侶の食生活に関連づけていったもの。
◎「牛は大日如来の化身」とも言う。
- 医者が取らなければ坊主が取る
(いしゃがとらなければぼうずがとる)
人は死ねば医者の手をはなれて僧侶の手に移る。また、病気になれば医者から金を取られ、その後は坊主が待っている、金はあの世までは持っていけない、と守銭奴に向かって言う皮肉。
- 医者が取るか坊主が取るか
(いしゃがとるかぼうずがとるか)
生死どちらともわからない重病人をいう。また、前項から、人の病気や死には金がかかることをいう。
- 医者、坊主物識りで者識らず
(いしゃぼうずものしりでものしらず)
医者と僧侶は学問はありけれど、一般常識に欠けるところがある。
- 三日坊主
(みっかぼうず)
ひどく飽きっぽいこと。また、そういう人のこと。
◎決心して僧侶(そうりょ)になったのに、戒律や修行の厳しさに耐えきれず、たった三日でやめてしまうの意から。
- 風と坊主は四つから
(かぜとぼうずはよつから)
風は午前10時頃から吹くことが多く、坊主も朝あまり早く人を訪ねるのはよろこばれないということ。
◎「四つ」は午前10時。
- 所侍と旅坊主
(ところさむらいにたびぼうず)
武士は自分の領地内では大いに威を振り、僧は他国で尊ばれる。
- 坊主と蒲叺は耳をとれ
(ぼうずとかますはみみをとれ)
僧侶と争うときは剃髪しているので耳しかつかむところがなく、かますも上方の両端(耳)をつかむのがよいということ。
◎「蒲叺」は、わらむしろを二つに折り、左右のへりを縄でとじた袋。穀物・塩・肥料などを入れる。
- 坊主憎けりゃ袈裟まで憎い
(ぼうずにくけりゃけさまでにくい)
その人をを憎むあまり、その人と関係のあるものはすべて憎くなること。
◎「袈裟」は、僧が衣の上に肩からかける布。「法師が憎ければ袈裟まで憎し」とも言う。
- 坊主の不信心
(ぼうずのふしんじん)
他人に立派なことを教えながら、自分自身は実行の伴わないことのたとえ。
◎信徒に信心をすすめる僧侶が、自分では以外に不信心なことをしていたりする意から。
〔類句〕医者の不養生。
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■ 方便(ほうべん)
- 嘘も方便
(うそもほうべん)
嘘をつくのはもちろん悪いことだが、時と場合によっては、ものごとを円滑に運ぶための手段として必要なこともあるということ。
◎「方便」は、便宜的な手段の意。本来は仏教の教えで、一般大衆を救って悟りの世界へ導くためには、仏も便宜的な表現の手段を用いたということから。
〔類句〕嘘も世渡り
- 無駄方便
(むだほうべん)
一見むだのように思われることでも、使い方ややり方しだいでは案外役に立つこともあるということ。
◎「方便」は便宜上の手段の意。
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■ 煩悩(ぼんのう)
- 百八煩悩
(ひゃくはちぼんのう)
人間の迷いのもとになる百八つの煩悩を言う仏教のことば。
◎一説に、眼・鼻・耳・舌・身・意の六根にそれぞれ苦・楽・不苦楽の三種があり、この十八種類にまたそれぞれ貧・不貧の二種類が加わり、さらにこの三十六種類を過去・現在・未来に配して合計百八と数えたものとされる。
〔出典〕大智度論
〔例〕「百八のうち五六十嫁のこと」(古川柳)
- 煩悩の犬は追えども去らず
(ぼんのうのいぬはおえどもさらず)
いくら追ってもまつわりついて離れない犬のように、欲望が人につきまとってなかなか離れないことのたとえ。
〔例〕「煩悩の犬が食い切る後家の数珠」(古川柳)
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■ 念仏(ねんぶつ)
- 朝題目に宵念仏
(あさだいもくによいねんぶつ)
定見を持たないことのたとえ。
◎朝は日蓮宗の南無妙法蓮華経(なむみょうほうれんげきょう)の題目を唱え、宵になると念仏宗の南無阿弥陀仏(なむあみだぶつ)を唱えるように、しっかりした考えを持たないの意から。「朝題目に夕念仏」とも言う。
- 今際の念仏誰も唱える
(いまわのねんぶつだれもとなえる)
元気でいるときには信心したことのない者でも、死にぎわにはだれでも念仏を唱えて仏にすがるのが弱い人間のすることだということ。
〔類句〕死にがけの念仏/苦しい時の神頼み
- 馬の耳に念仏
(うまのみみにねんぶつ)
いくら意見や忠告をされても、当人はなんとも感じず、まるっきり効き目のないことのたとえ。
◎ありがたい念仏を馬に聞かせてみても、馬はなんとも感じないことから。英語では「Sing (whistle) psalms to a dead horse. 死んだ馬に賛美歌を歌って聞かせる」と言う。
〔例〕「馬の耳蛙(かえる)のつらに母こまり」(古川柳)
〔類句〕馬耳東風(ばじとうふう)/馬の耳に風/犬に論語/蛙の面に水
- 鬼の空念仏
(おにのそらねんぶつ)
→鬼の念仏
- 鬼の念仏
(おにのねんぶつ)
残忍冷酷な者が、さも情け深そうなことを言ったり、殊勝げにふるまったりすることのたとえ。
◎鬼が心にもなく念仏を唱えてみせるの意から。「鬼の空念仏(そらねんぶつ)」とも言う。
〔類句〕鬼の空涙(そらなみだ)
- 蟹の念仏
(かにのねんぶつ)
蟹が口から泡をふいているように、口の中でぶつぶつとつぶやいていることのたとえ。
- 極楽の入り口で念仏を売る
(ごくらくのいりぐちでねんぶつをうる)
すべてを知りつくしている人に対して教えること。また、なんの役にも立たないことをすること。
〔類句〕釈迦に説法
- 出家の念仏嫌い
(しゅっけのねんぶつぎらい)
当然やらなければならない肝心なことが嫌いだったり、できなかったりすることのたとえ。
- 他人の念仏で極楽参り
(たにんのねんぶつでごくらくまいり)
他人のものに便乗して自分の利益をはかったり、義理を済ましたりすることのたとえ。
◎他人の唱えた念仏のご利益(りやく)で、自分が極楽へ行こうとすることから。
〔類句〕人の牛蒡で法事する/人の褌で相撲を取る
- 豚に念仏 猫に経
(ぶたにねんぶつ ねこにきょう)
理解できない相手に、ありがたい教えや、ためになることをいくら言って聞かせてもなんの効果もなく、むだであることのたとえ。
◎豚に念仏を、猫にお経を聞かせても、そのありがたみはわからないことから。
〔類句〕馬の耳に念仏/犬に論語
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■ 無常(むじょう)
- 諸行無常
(しょぎょうむじょう)
この世のいっさいのものごとは、変転きわまりなく、不変なもの、常なるものなど存在しないということ。
◎仏教の根本的理念を表すことばとして知られる。
〔出典〕涅槃経(ねはんぎょう)
- 無常迅速
(むじょうじんそく)
人の世は移り変わりが激しく、月日はまたたく間に過ぎ去り、死もたちまちのうちにやってくるということ。
〔出典〕伝灯録
- 無常の鬼が身を責むる
(むじょうのおにがみをせむる)
いつ死ぬかわからない不安が、まるで鬼の責め苦のように、人を責めさいなむということ。
◎「無常の鬼」は、はかない命を鬼にたとえたことば。
- 無常の風は時を選ばず
(むじょうのかぜはときをえらばず)
はかない人間の命はいつ果てるのか、まったく予測はつかないということ。
◎心ない風が今、せっかく咲いている花を情け容赦なく吹き散らしてしまうの意から。
〔例〕「無常の早手というべきは卒中風」(古川柳)
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■ 生 + 死
- 生き身は死に身
(いきみはしにみ)
この世に生きているものは、必ず死ぬという意。生者必滅。
- 生きて相憐れみ死して相捐つ
(いきてあいあわれみししてあいすつ)
生きているときは互いにあわれみ愛するが、死ねばすててかえりみないこと。死者に対して薄情なことをいう。
- 生き身は死に身
(いきみはしにみ)
いま生きているこのからだもいつかは死ぬからだである。生きている者は死ぬ定めから免れることはできないということ。
◎「生き身」は生きているからだ、「死に身」は死ぬべきからだの意。
〔類句〕生ある者は必ず死あり/生者必滅会者定離
- 起死回生
(きしかいせい)
もう見込みがない、救いようがないと思われるような状態から、息を吹き返させること。
◎「起死」はほとんど死にかかった人を生き返らせる、「回生」は死んだも同様のものをよみがえらせる意。
- 九死に一生を得る
(きゅうしにいっしょうをえる)
とうてい助からないだろうと思われた危険な状態から、奇跡的に生き延びること。
◎十のうち九割は死、助かる見込みは十分の一という確率の生命をかろうじて得るの意から。「万死(ばんし)の中に一生を得」「万死を出でて一生に遇(あ)う」「九死一生」などとも言う。
〔例〕「九死をのがれ一生のかつぎもの(厄介(やっかい)者)」(古川柳)
- 死しての千年より生きての一日
(ししてのせんねんよりいきてのいちにち)
死んでからの千年よりも、この世の一日のほうが貴重だということ。
〔類句〕あの世の千日この世の一日
- 死生 命あり
(しせい めいあり)
人の生死というものは、天命により定まっているもので、人の力ではどうすることもできないということ。
◎「死生命あり、富貴天にあり」と続けても言う。
〔出典〕論語
〔例〕「死生命ありと藪(やぶ)医者ぬかしたり」(古川柳)
- 死せる孔明生ける仲達を走らす
(しせるこうめいいけるちゅうたつをはしらす)
死んだあとでもなお生前の威力が保たれていて、生きている人を恐れさせ、震えあがらせることのたとえ。
◎中国蜀(しょく)の名将諸葛孔明(しょかつこうめい)が、魏(ぎ)の司馬仲達(しばちゅうたつ)と対戦中、五丈原(ごじょうげん)で病死した。そこで、蜀の軍は陣を引き払おうとしたが「孔明死す」の情報をキャッチした仲達はすかさず追撃しようとした。ところが、蜀の軍がすぐに反撃の姿勢をみせたため、これはきっと孔明が死んだという情報は自分を欺くための計略だと仲達は思い込み、あわてて退却したという故事から。
〔出典〕蜀志(しょくし)
- 死に別れより生き別れ
(しにわかれよりいきわかれ)
死別するよりも、生別するほうがはるかにつらいということ。
◎死んでしまった人はあきらめるしかないが、生き別れた相手はどこかで生きていると思うと、なかなかあきらめがつかず、かえって悲しい思いをするということから。
- 死ねば死に損 生くれば生き得
(しねばしにぞん いくればいきどく)
生きていればいつかよいことにも巡り合えるから生き得と言えるが、死んでしまえばそれまでだから、死に損ということになる。人間生きていなければどうにもならないということ。
〔類句〕死んで花実が咲くものか/死ぬ者貧乏
- 酔生夢死
(すいせいむし)
仕事らしい仕事もしないで、ただぼんやりといたずらに一生を過ごすこと。
◎まるで酒に酔っているかのように生き、あたかも夢を見ているかのように死ぬの意から。
〔出典〕程子語録(ていしごろく)
- 生ある者は必ず死あり
(せいあるものはかならずしあり)
どんなものでも生命あるものなら死をまぬがれることはできず、いつか必ず死ぬということ。
〔出典〕揚子法言(ようしほうげん)
〔類句〕生き身は死に身/生者必滅会者定離
- 生は難く 死は易し
(せいはかたく しはやすし)
苦しみを耐え忍びながら生きることはむずかしいが、苦しみから逃れるために死ぬのはたやすい。迷ったあげく、死を選ぼうとする人などへの戒めのことば。
〔例〕「生は堅く死後やすやすと後家渡し」(古川柳)
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